「物理が難しくてわからない」という学生や、「学生時代は物理がさっぱりわからなかった」という社会人の方はかなり多いのではないだろうか。私の経験上、大学等で理系の分野を専攻している人でも、「物理だけはちょっと・・・」という方は大勢いる。
今回はなぜ物理がわからなくなってしまうのか、どうすれば物理が楽しく面白くなるかという悩みを解決するたった2つのコツを語りたい。
物理の全体像を教えてくれる機会は意外に少ない。中にはしっかり教科書や授業中に言及しているケースもあるが、さらっと触れていきなり各論に入ってしまうことが多い。
試しに「高校 物理」と検索してみて、各サイトの中身を確認して欲しい。ほとんどが「力学」「電磁気学」「波動」といった分野名で分類していたり、等速直線運動・円運動・力学的エネルギー・・・のように単元の説明で終始している。
個別の単元を学習して深掘りしたい人にそのような見せ方をするのは構わないし、事実高校までの範囲では多くの物理の教科書や参考書は、多かれ少なかれほぼ同じようにそのような書き方をしているので、間違いというわけではない。
ただ、物理を学ぶ上で重要なのは「物理を学ぶことで我々は一体どこに向かっているのか」という点で、これが学びのモチベーションになるのではなかろうか。いきなり「運動方程式」や「円運動」のように個別の話を順番に追っていったところで、何が面白いのかさっぱりわからない人も多くなってしまい、「大学入試に必要」などといった点数を取るためだけの手段として学んだところで少しも面白くないのは当然であろう。
これから伝えることはおそらく一般には広く認知されておらず、物理学科生と物理学者の間でしか知られていない極めて重要な事実だ。
それは「物理の計算ができることは、物理をよく理解していることにはならない」ということだ。私の大学時代の先生の言葉を借りると、「計算することでしか物理現象を説明できない人は、その物理現象を理解していないのと同じ」なのである。
ここで1つ、物理学の研究室で毎日起こるエピソードをお教えしよう。
大学の研究室では、学生と先生が一緒になって教科書を読みながら物理を勉強する会(ゼミ)が必ず毎週ある。ゼミでは基本、教科書の単元ごとに区切って担当学生がそれぞれの担当箇所を予習し、教科書に書いてある内容を他の学生や先生たちに発表する。
大学・大学院レベルの物理になると、皆さんご想像の通り難しい数学の知識を使うことが多く、計算も複雑である。それでもみんなに説明するために一生懸命予習し、教科書内容をまとめてくるのだが、一通りホワイトボードで計算を披露し、答えも出てほっと一息ついたところで先生からある一言を言われる。
「一所懸命に計算して教科書に書いてある通りの答えが出たのはわかったけど、結局その式って何を表しているの?イメージを絵で描いてみてくれない?」
私の経験上、半分くらいの学生は戸惑い、これまでスラスラと数式を書いていた手が突然止まる。数式が表していることを絵で描くことができないのだ。そして先生に最後はこう言われる。
「計算しただけで、学んだ物理現象の本質は全然わかっていないじゃん。」
かくいう私も物理を習いたての頃は自分が計算したことの結果を全く絵で描けず苦労した。今でこそだいぶイメージを意識して計算できるようになったが、それでも何十年と物理をやっている先生方の理解にはまだ及ばない。
ここで私の頭に思い浮かぶのが、福山雅治主演のドラマ「探偵ガリレオ」の主人公「湯川学」だ。このドラマの劇中で湯川が事件のトリックに気づく際、そこかしこに猛烈に数式を書き連ねるという演出がある。
この描写は湯川の天才っぷりを強調するための演出なのだが、物理学を学んだ身からすると若干の違和感がある。というのも、先に述べたように物理学を本当にわかっている人は「計算でわかる人」ではなく、「絵で描いてわかる人」なのだ。
つまり、本当に湯川学が天才であるならば数式を書かなくても、「こんな感じかな?」と柴咲コウ演じる内海薫刑事に絵を描いてトリックを解説するという見せ方の方が、どちらかというと物理学者の実態にあっている。
数式で計算したことは絵で描いて説明できるというのは、物理において数式はいわば「言語」であることに起因する。これはどういう意味だろうか?
例えば、
「白い雪原の中に一本の木が立っている」
という文章を見たとき、皆さんの頭の中にはどのようなイメージが浮かぶだろう?
こんな風に、数式を見たときにその数式が表すイメージが頭の中に浮かぶようになることで、初めて数式を「言語」ひいては文章として理解できたことになる。だから本来、物理の勉強で特に時間をかけないといけないのは、数式を言語として理解する訓練なのであるが、どうもこの重要性を教えてくれる機会は本当に少ない。
数式を言語として捉えることについては、かの有名なガリレオ・ガリレイも1623年に出版した『The Assayer』(偽金鑑識官)で以下のように述べている。
Philosophy is written in this grand book, the universe, which stands continually open to our gaze. But the book cannot be understood unless one first learns to comprehend the language and read the letters in which it is composed. It is written in the language of mathematics, and its characters are triangles, circles, and other geometric figures without which it is humanly impossible to understand a single word of it; without these, one wanders about in a dark labyrinth.
(以下、日本語訳)
哲学は宇宙という壮大な書物に書かれており、それは常に我々の眼前に開かれている。ただ、まずはじめにそこで使われている言語や文字を読んで理解できないと、その書物に書かれている内容は理解することができない。その書物は数学で記述されており、その文字は三角形や円、その他幾何学的な図形であり、これらなしでは1つも理解することができない。
Galileo Galilei, The Assayer(1623)
- 物理がわかりにくのは「全体像がわかりにくく、計算ばかりにフォーカスされる」から。
- 数式は言語であり、通常の文章と同じように数式を見たときに頭の中にイメージが浮かぶように訓練する必要がある。
いかがだったろうか?上記のコツ2つを知るだけでもかなり物理に対する考え方が変わると思う。何より物理の持つ本来の面白さみたいなものを感じ取れる人も増えるのではないだろうか。次回は物理学の全体像、そして数式を言語として捉える具体的な方法を紹介する。